「日本文化が人気だから」
「侘び寂びの精神が、フランス人の心に響くから」
もちろん、それもあると思います。
でも、日本とフランスの両方で暮らした私が思うのは、もっと単純な理由です。
フランス人は、気に入ったものをなかなか捨てない。
いや、本当に捨てません。
私は日本にいた頃、服が破れたり穴が開いたりしたら、わりと簡単に捨てていました。
「はい、終了」
「今までありがとう」
「次の服を買いましょう」
という感じです。
ところがフランスに渡ってから、私のこの考え方は少しずつ変わっていきました。
穴の開いたワンピースを着る、ヴェルサイユのマダム

私の大好きな街、ヴェルサイユで、とてもお世話になったマダムがいます。
彼女はいくつか別荘を持っていて、私や子どもたちを何度か招いてくれました。
「いくつか別荘を持っているヴェルサイユのマダム」と聞くと、皆さんはどんな姿を想像するでしょうか。
海辺で優雅にシャンパンを飲み、毎年新しいリゾートワンピースを買うような女性でしょうか。
ところが、ある日、彼女が海へ着て行ったワンピースには、なかなか元気な穴が開いていました。
「少しほつれていますね」という上品なレベルではありません。
ちゃんと穴です。
私は日本人的な感覚で、
「マダム、そこ、穴が……」
と思ったのですが、彼女はまったく気にしていません。
それどころか、その穴を私に笑顔で見せながら、こう言いました。
「清美! 私、これが大好きで、もう10年以上着ているの!」
なんという堂々たる穴。
そして、なんというチャーミングな笑顔。
着古したワンピースと、彼女の後ろに広がる海の景色が本当によく似合っていました。
新しい服を着ているから素敵なのではありません。
彼女がそのワンピースを本当に好きで、何年も大切に着てきたことが伝わるから、素敵だったのです。
「古い」と「みすぼらしい」は同じではない

フランスで暮らしていると、古いものを大切に使う人によく出会いました。
服だけではありません。
家具も、食器も、家も、家族から受け継いだものも。
少しくらい傷があっても、色が褪せていても、簡単には捨てません。
もちろん、フランス人が全員そうだという話ではありません。
ただ、私が出会った人たちの中には、
「古いから価値がない」
とは考えない人が、とても多かったのです。
むしろ、
「これは長く使ってきたもの」
「祖母から受け継いだもの」
「この傷にも思い出がある」
ということを、うれしそうに話します。
古いことと、みすぼらしいことは同じではない。
傷があることと、価値がないことも同じではない。
私はフランスで、そんな感覚を教えてもらいました。
そして私も、お気に入りの服なら、少しくらい傷んでも修理して、以前より大切に着るようになりました。
昔の私なら捨てていたものを、今は「まだいける」と縫っています。
少し成長しました。
裁縫の腕は、そこまで成長していません。
金継ぎは、壊れたことを隠さない
金継ぎも、これとよく似ています。
割れた器を、まるで何もなかったかのように元通りにするのではありません。
割れた線を消さず、漆でつなぎ、その上に金や銀を施します。
つまり、
「この器は一度壊れました」
という事実を、堂々と見せる修復です。
普通なら隠したくなる傷を、あえて美しく見せる。
考えてみれば、かなり大胆な技法です。
けれども、壊れたからこそ、その器にしかない景色が生まれます。
修復された器を見ると、壊れる前よりも愛おしく感じることがあります。
無傷だった頃にはなかった物語が、そこに加わるからです。
なぜ金継ぎはフランス人の心に響くのか
フランスには、時間を経たものの美しさを楽しむ文化があります。
新品のようにきれいなものだけを価値あるものとするのではなく、使い込まれた跡や、少し欠けた部分まで、そのものの個性として受け入れる。
だから、壊れた跡を隠さず、新しい美しさへと変える金継ぎは、フランス人の感覚ととても相性がいいのだと思います。
金継ぎは、単に器を直す技術ではありません。
「壊れたから終わり」ではなく、
「壊れたけれど、ここからまた大切に使っていこう」
と考えるための技術です。
穴の開いたワンピースと金継ぎ
穴の開いたワンピースを着て、海辺で笑っていたヴェルサイユのマダム。
彼女の姿を思い出すたびに、金継ぎの考え方とよく似ていると思います。
傷を隠さない。
古くなったことを恥ずかしがらない。
大好きなものだから、手をかけながら使い続ける。
きっとフランスで金継ぎが受け入れられる理由は、難しい「侘び寂び」の説明よりも、そんなシンプルなところにあるのではないでしょうか。
そして、あのマダムのワンピースに、今も穴が開いているのか。
私は少しだけ気になっています。
たぶん彼女なら、今もあの穴を気にすることなく、海辺で笑顔で着ていると思います。


コメント